むき出しの正義感は、一般的に考えられているよりも迷惑であることが多いです。
生活ルールを定めた細則や生活協定のルールを守らない人、関心を持たない人はもちろん問題です。改善を求めるのは当たり前です。ただし、個人間でこれをやるとカドが立ちます。誰しも自分の住むマンションが荒んでほしくはないはずです。管理組合という組織の力でやんわり忠告するほうが無難です。
快適なマンションライフを継続させるためには、「自分の考え方が絶対に正しい」と思い込んで他人に強要することを躊躇(ちゅうちょ)しない人のほうが、むしろ頭の痛い存在なのかもしれません。
“自転車投げ込みおじさん”の正義感|マンション管理新時代(ケンプラッツ)
…というか、理事長という立場としては、気持ちはありがたいけれど、もう少しやり方を考えてほしいな~、と思うことが多いです。
先日の総会のときでもそうですが、細かい指摘事項は軽く流すことで、大きな指摘事項がより印象に残ると思うのです。
事の大小を区別せずに同じ調子で指摘されると、文句を言いたいだけなんじゃないかと思うのです。
それが、ものすごくもったいない、と思います。
私も含め、多くの人は「うるさい人だな」と思うだけで、心に届かないのではないかと思います。
管理会社の人ともそういう話になってしまいます。
もっとやり方、言い方を考えればいいのに…ってね。
本当に、気持ちはわかるんですが、まだこのマンションには土壌ができていない。
正義感という種をまくのはまだ早いのです。
私もそうでしたが、役員(しかもできれば理事長等の役職)を経験しないと、マンションの問題というのはなかなか実感できない。
管理会社がちゃんとやってくれている、という言葉も未だに聞きます。
(まあ、お金のやり取りを含めた事務手続きなどはきっちりとやってくれますが。)
管理会社としては、マンションの中から苦情が来ない限り、マンションを良くしようとかそういうことは思わないものです。
フロントの方は物件をいくつも抱えているわけですから、マンションごとに一つずつ問題点があれば物件数分の仕事が増えるわけです。
ノープレイノーミス。
それが管理会社のフロントとしては最も無難なすごし方です。
一方、マンションの住民も気づいていても何も言わないものです。
ただ、こちらの方は多少意味が違います。
そもそも、管理組合とか理事会とかの存在自体を知らないか、あるいは自分とは関係のない別世界のことのように感じている人が多いです。
だから意見があったとしても誰に言っていいのかわからない人が多いのではないかと思うようになりました。
何かの席で同席したときに「そういえば理事長なんですよね?」という問いかけから、実は…というふうに何かを聞くことが時々あります。
前のマンションでもそうでしたが、意見箱を用意していても、気づいたことを紙に書いて投函してくれる方は非常に少ない。
でも、だからといって不満がないわけではないし、マンションに問題がないわけではない。
「書く」という事が非常に高いハードルになっているだけです。
感じたことを紙に書いて投函する、というなんでもない事がなんでもないようにできる様になるにはまだまだ時間がかかりそうです。